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坂村真民記念館 ~人はどう生きるべきか~癒しの詩人 坂村真民の世界

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坂村真民について

生涯年表

プロフィール

1909(明治42年) 0歳 1月6日熊本県玉名郡府本村(現在の荒尾市)に生まれる。
1917(大正 6年) 8歳 9月、父急逝。生涯の大転機となる。
1921(大正10年) 12歳 4月、熊本県立玉名中学校に入学。
1927(昭和 2年) 18歳 4月、伊勢の神宮皇學館(現皇學館大学)に入学。
1929(昭和 4年) 20歳 9月、短歌結社「蒼穹」(岡野直七郎主宰)に入社する。
1931(昭和 6年) 22歳 3月、神宮皇學館本科国語漢文科を卒業。
4月、熊本に戻り、画図小学校の教員となる。
1934(昭和 9年) 25歳 4月、全羅南道順天女学校の教員として、朝鮮に渡る。
9月、忠清北道清州高等女学校に転勤する。
1935(昭和10年) 26歳 3月、辛島久代(18歳)と結婚する。
1941(昭和16年) 32歳 3月、(長女)茜(あかね)昇天する。
4月、全羅北道全州師範学校に転勤する。
1945(昭和20年) 36歳 11月、朝鮮より引き揚げ、熊本に帰る。
1946(昭和21年) 37歳 5月、家族を連れて四国へ渡り、愛媛県三瓶町の私立第二山下高等女学校(後の県立三瓶高等学校)教諭に着任する。
10月、短歌雑誌「海(うみ)燕(つばめ)」を佐伯秀雄氏と発刊する。
1950(昭和25年) 41歳 1月、個人詩誌「ペルソナ」を創刊し、長い短歌生活に別れを告げる。
4月、県立吉田高等学校に転勤する。
1951(昭和26年) 42歳 4月、第一詩集「六魚庵天国」を発行する。
以後、毎年一冊ずつ自費出版の詩集を発行する。
1952(昭和27年) 43歳 10月、世界仏教徒大会広島大会に参加し、「法蔵菩薩に捧ぐる平和の詩」(英訳版)を世界各国の代表に贈る。
1953(昭和28年) 44歳 3月、杉村春苔先生を別府市のお宅に訪ねる。
5月、母・タ子が永眠する。(72歳)
1956(昭和31年) 47歳 眼の病に引続き内臓の病気に罹り生死を彷徨うが、利根白泉先生の助力により大難を克服する。
4月、県立宇和島東高等学校に転勤する。
1960(昭和35年) 51歳 1月、第十詩集「梨花」を発行する。
1961(昭和36年) 52歳 1月、随筆集「あかねの雲流るるとき」を発行する。
1962(昭和37年) 53歳 1月、歌集「石笛」を発行する。
6月、森信三先生にお会いし、「詩国」発刊の一大教示をいただく。
7月、個人詩誌「詩国」を創刊する。
1963(昭和38年) 54歳 10月、第十一詩集「川は海に向かって」を発行する。
1965(昭和40年) 56歳 4月、県立吉田高等学校に転勤する。
9月、第十二詩集「もっこすの唄」を発行する。
1966(昭和41年) 57歳 3月、県立吉田高等学校を定年退職する。
4月、県立吉田高等学校の非常勤講師(1年間)となる。
1967(昭和42年) 58歳 2月、大東出版社より、「自選坂村真民詩集」刊行される。
4月、宇和島市から松山市に引っ越す。
4月、私立新田高等学校の講師となる。
9月、伊予郡砥部町に居を定める。
1970(昭和45年) 61歳 10月、「詩国」100号を発行する。
11月、京都市鷹ヶ峰「常照寺」に「念ずれば花ひらく」碑初めて建立される。
1971(昭和46年) 62歳 3月、詩集「朴」(大東出版社)刊行される。
1974(昭和49年) 65歳 1月、愛媛新聞賞(文化部門)を受賞する。
3月、私立新田高等学校を退職する。
4月、長い教員生活を終え、新しい生活の門出を祈願し、妻と八十八か所巡礼の旅に出る。
1977(昭和52年) 68歳 3月、詩集「詩国第一集」(大東出版社)刊行される。
6月、杉村春苔尼先生逝去される。
1979(昭和54年) 70歳 2月、「詩国」200号を発行する。
5月、随筆集「念ずれば花ひらく」(柏樹社)刊行される。
1980(昭和55年) 71歳 6月、第4回正力松太郎賞を受賞する。
1981(昭和56年) 72歳 11月、「一遍上人語録―捨て果てて」(大蔵出版)刊行される。
1985(昭和60年) 76歳 10月、「坂村真民全詩集」(大東出版社)第1巻刊行される。
1987(昭和62年) 78歳 6月、「詩国」300号を発行する。
1989(昭和64年)
(平成元年)
80歳 1月、昭和最後の日、すべての番組が中止されるなか、NHKテレビで「念ずれば花ひらく」が放映される。
11月、愛媛県教育文化賞を受賞する。
11月、砥部町より文化功労賞を受賞する。
11月、砥部町の開花亭に「念ずれば花ひらく」100番碑が建立される。
1990(平成2年) 81歳 1月、「開花亭」にて「朴庵例会」が始まる。
5月、第1回「全国朴の大会」が開花亭にて開催される。。
1991(平成3年) 82歳 3月、第25回仏教伝道文化賞を受賞する。
1992(平成4年) 83歳 2月、さとう宗幸作曲・歌「二度とない人生だから」キングレコードより発売される。
11月、森信三先生逝去される。
1994(平成6年) 85歳 2月、妻・久代「くも膜下出血」で倒れる。
7月、妻・久代退院し、自宅療養となる。
1995(平成7年) 86歳 10月、「詩国」400号を発行する。
1996(平成8年) 87歳 3月、大東出版社社主・岩野喜久代女史逝去される。
11月、東京・紀伊国屋サザンシアターにて、ビデオ「詩魂の源流」完成記念講演会が開催される。
1997(平成9年) 88歳 3月、NHK松山放送局にて、ロビー展「坂村真民祈りの詩墨展」が開催される。
1998(平成10年) 89歳 2月、朴庵例会が100回を迎える。
10月、詩集「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)刊行される。
1999(平成11年) 90歳 3月、愛媛放送賞を受賞する。
11月、愛媛県功労賞を受賞する。
2000(平成12年) 91歳 11月、妻・久代「脳梗塞」のため入院、手術を受ける。
2001(平成13年) 92歳 4月、妻・久代退院し、自宅療養となる。
5月、詩集「花ひらく心ひらく道ひらく」(講談社)刊行される。
6月、砥部町より名誉町民賞を受ける。
7月、愛媛県立美術館にて「坂村真民展」が開催される。
10月、「坂村真民全詩集」(大東出版社)第7巻刊行される。
2002(平成14年) 93歳 3月、随筆集「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)復刊される。
2003(平成15年) 94歳 11月、熊本県近代文化功労者賞を受賞する。
2004(平成16年) 95歳 1月、朴庵例会を171回で終える。
2月、「詩国」500号を発行し、終刊とする。
2月、「詩国発刊500号記念全国朴の大会」が愛媛県民文化会館で開催される。
3月、「鳩寿」第1号を発行する。
3月、熊本県玉名市の玉名高校に「念ずれば花ひらく」700番碑が建立される。
2005(平成17年) 96歳 9月、「鳩寿」15号を発行し、終刊とする。
2006(平成18年) 97歳 5月、この頃より体調管理のため砥部町内の病院に入退院を繰り返す。
8月、体調不良で再入院する。
12月11日老衰のため砥部町にて永眠する。享年97歳
12月、詩録集「坂村真民一日一言」(致知出版社)刊行される。
2007(平成19年) (98歳) 4月、なぞり本「花が降ってきたら」(DAI-X出版)刊行される。
12月、「坂村真民全詩集」(大東出版社)第八巻刊行される。
2008(平成20年) (99歳) 4月19日、妻・久代永眠。(91歳)
2009(平成21年) (100歳) 7月、随筆集「めぐりあいのふしぎ」(「生きてゆく力がなる時」を改題)(サンマーク出版)復刊される。
8月、随筆集「愛の道しるべ」(サンマーク出版)復刊されるる。
10月、坂村真民生誕100年記念事業として、砥部町で「詩墨展」、「記念の集い」が開催される。
2010(平成22年)   4月、坂村真民記念館・建設準備作業開始
2011(平成23年)   3月11日、東日本大震災発生
6月15日、詩集「ねがい」(サンマーク出版)刊行される。
6月23日、坂村真民記念館・建設着工
2012(平成24年)   3月11日、坂村真民記念館オープン